マノン・レスコ*A.ネトレプコ復帰★モンテカルロ~♪ [モンテカルロ]
思いがけずの代役で素晴らしい好演を拝聴させて頂いた 当初から予定
無く偶々舞込んだに驚嘆( ゚Д゚) Anna Netrebukoアンナ ネトレプコ
舞台解禁?? 復帰情報に指先は既に関係先サイトへアクセスして居た(苦笑)
≪マノン・レスコ≫ モンテカルロオペラ座公演。 華やかで美麗な歌唱を
満喫 残念ながらの演出に僅かながら不満は残るが 一幕@可憐な表情で
デグリュとの出会い 一目惚れに恥じらいを感じさせる爽やかな雰囲気を
醸した。。お茶目な姿は観客の笑みを誘った
二幕 @ 豪奢な館に囲われるマノン 筋肉質の芸術家ジェロンテが彫刻を
創作するが如く マノンを中央に立たせ[柔らかなレースに包まれて~]
歌詞 に合わせ大判のウエットティッシュで包んで行く(苦笑) 幾ら役者
とは云え プロの歌手 臨まれれば全て受容れる?? 愉しそうに歌うマノン
ビジュアル的にはコミック風で 叙情的感動は薄れた。
愛しいマノンを探し求め突然現れたデグリュと 愛の抱擁 館からの脱出を
促すデグリュ 然し宝石に眼の眩んだ マノン両手に抱えた宝を離せず
右往左往する内 ジェロンテが現れ マノンは警察へ。 流石芸人アンナの
演技は逸品
残念な演出の極め付けは最終場面 まるでcovid隔離で会えない恋人同士??
舞台中央をガラス戸で仕切り マノン & デグリュ 其々別々の何故??
[Solo perduta abbandonata 一人きり 置き去りにされ見放された]と
嘆きつゝ暗く冷たい叩きに横たわり一人最期を迎えるマノン
片や明るい学生の部屋で〓熊の様に狼狽えながらマノンに思いを寄せて
嘆くデグリュ。 ガラスで遮断された部屋から動く事も出来ず マノンの
最期も看取れず 中途半端で 本来の感動のクライマックスシーンが
失われ 愛を貫いた[マノン・レスコの神髄]は消えていた
二人で海外追放も厭わず旅立ち 苦難な路を二人歩みながらも最後は
甘美な愛を歌い上げ 憔悴し息絶える愛しいマノンを抱きしめて絶望の
デグリュ と云う感動的恋愛ドラマの最期を誰もが期待して
居たに違いない筈 ?? (苦笑) 然し想定外の結末に納得出来ず不満の
会話が 其処此処に漏れた
デグリュ:テナーYusif Eyvazov ユシフ エィヴァゾフ@ A.ネトレプコの
旦那様 抜群の声量は奏でるが 個人的には音質が好みでは無い。
独唱の時はスルー出来るが二重唱では ネトレプコの美声が損なわれる
感が有った コンサートで聴く分には気にならなかったが
※ネトレプコと共演のドミンゴ氏、マルチェロ・アルヴァレツ、
ヨセフ・カレヤ、シュテファン・コステロ、低音テナー:シャルル・
カストロノヴォ等とのデュエットでは 何時も素晴らしいハーモニーを
奏でたが夫君の甘美なニュアンスの欠ける声質は美麗なデュエットに
心持遠かった
まぁ色々贅沢言って居るが ミラノ ≪マクベス≫ 以来 半年足らず
の内に世界は戦中の渦に突入 軍事産業の発展を望む国の方々の
挑発に因り関係ない芸術関係者が職を失う悲惨な状況を生出して居る。
政治と混同すべきでない芸術家に対し早々に手を下した米国。
カーネギーホール強制降板のヴァレリ・ゲルギエフを 皮切りに各国
追従〇●〇●〇 残念な状況はお気の毒。
※クラシック界だけでなくスポーツ界へも既に挑発は始まっていた
中国五輪フィギュア:ワリエラ女史への虐めとしか思えない米国
メディア 幸い仏メディアは追従しなかった。
愚かな戦争の勃発から 舞台降板を迫られた露人クラシック界の大スター
ご自分からFBで舞台降板を申し出た アンナ・ネトレプコ。 然し
ドミンゴ氏同様に『好きな歌は止められない』だろう 好きな事を
職業にしている方々の職を奪い取る過酷な仕打ち。 特にこの度は
戦争の当事者では無く愚かな主導者の犠牲であるにも拘らず。
幸い欧州は文化芸術と政治とは切り離して取組む劇場が多く ファンに
取って嬉しい限りで馳せ参じた つい10日程前に情報入手 開けて
( ゚Д゚) 待って居て呉れた たった一席 迷わずゲット まさかの
特等席\(^o^)/ 平土間一列目中央寄り通路側 願ったり叶ったり
選んだ時は3列目だったが現地で受取時に一列目と云われが・・
そんな訳で辿り着いた想定外の旅 ≪ マノンレスコー ≫ モンテカルロ
オペラ座。 本来 Maria Agresta マリア・アグレスタの予定が Covid
感染に因る降板代役がAnna Netorebko アンナ・ネトレプコ と云う
豪華版 4公演完売だった一席 宝くじに当たった様な幸運(笑)
他の何席かは全て後方の補助席 サイト開けた途端飛込んだ席に驚嘆
透かさずお手付きしたが 交通機関を調べて『エッ フライトが無い?』
そうモナコには空港不在 ニースからのアクセス等 検索する内に一度は
気落ちしながらも どうにか進行
然し難関はホテル『エッ嘘』徒歩距離近目は全て空き室無し
夜11時の帰路は何か不安 少しでも近めとは言え距離感が掴めず
『まぁモナコだし』風な勝手な安心感も(笑) 然し是も到着時に
仰天 お山の上だった?ふぅぅ ホテルのレセプションで
『随分急な坂路で』と『 だからモンテ(monte=登)と云うの此処は?』
山を切り崩して出来上がっている街だった ※モンテの説は如何か?
80年にカジノの為に来仏された重役の友人アテンドで訪れた時の
経験なんて忘却の彼方 空港が無かった事さえ忘れて居た
『そう云えば』風に徐々に記憶が蘇り 当時はリムジンの運転手
さんが観光案内も兼ね『此処が グレース・ケリーモナコ王妃の
事故が有った場所』と くねくねした山道を辿ったのを思い出した。
でもあの頃の景色の方が自然も多く時折 海の見える素晴らしい景観。
現代切り崩されて出来上がった山道にオートルートが縦横に碁盤の目
何しろF1が繰り広げられる街。 この旅も ホテルが満室だったのは
今週末のF1の為とか ニース空港行バス待ちでお喋りした
ベルギー人から情報入手
最終的にバスは遅れ 機運のタクシーに遭遇 割勘で空港まで運転手
さんとお二人の興味深い愉しい話題 モナコの昔話を拝聴しながら
美しい車窓からの風景を堪能させて頂いた[旅は道連れ]
TCEの思い掛けないMarina Rebeka マリナ・レべカ代役に引続き
この旅もA.ネトレプコ代役と双方共 格上代役 その上 完売の
一列目と云う想定外の幸運に巡り会え感謝感激 Poisson D’Avril
4月の魚 嘘の様な本当の話 こんな幸運に巡り合え5月は反動が
来ない事を祈りつゝ〓〓
~~~~~~~~~MANON LESCAUT~~~~~~~~~
2022年4月27日 オペラ・モンテカルロ ≪ マノン・レスコ≫
指揮:Pinchas Steinberg/衣装:Kristopher Kempf
演出:Guy Montavon/ 演出アシスタント:Enza D'Auria
舞台装置:Hank Irwin Kittel / 照明::Guy Montavon
Etudes musicales:Kira Parfeevets
Un musico:Loriana Castellano
コーラスマスター:Stefano Visconti
Orchestre et Chours de l’Opera de Monte-Carlo
マノン・レスコ:Anna Netrebko /兄レスコ:Claudio Sgura
騎士デグリュ 学生:Yusif Eyvazov
ジェロンテ(本来大蔵大臣Vs芸術家) :Alessandro Spina
エドモンド,学生:Luis Gomes宿の主人:Luca Vianello
舞踏教師:Remy Mathieu/音楽家:Loriana Castellano
カジノ御殿の中に同居しているオペラ座 巴里のオペラ座と同じ
建築家:Charles Garnier シャルル ガルニエ氏の設計。
現在モンテカルロ・オーケストラ首席は 山田和樹氏 同郷の
秦野ご出身の様で 数年前に偶然プロフィルを拝見して( ゚Д゚)
残念ながら今回は Pinchas Steinberg パンシャ スティンベルグ氏
76歳老練な指揮者 コンパクトなオケピットから宝石が飛交う如き
輝き放つ音質 ダイナミックに情緒豊かな素晴らしい演奏を奏でた
若手演奏家:若手コーラス団 オケピット被り付きの平土間一列目
願ったり叶ったりの思い掛けない好演に巡り会え感謝観劇。
公演後の23時 カジノ広場の賑わいは絶えず。 急な山坂で体力的に
心配だった帰路では有るが 為せば成る 老婆の健脚(笑)
※到着日 初めての路を昼と違う景色の中で迷って辿り着けない
心配も過ったが 煌々と夜道を照らす街灯に救われ軽やかに宿へ
戻れた(安堵) 昼荷物を引いて上り詰めた際は二度と来ないかも?
と不機嫌だったが 何度か往復する内『また来ても良いかも?』と
意思が変った(苦笑)
※この街で流しのタクシーを見付けるのはほゞ無理 自力で挑戦
常日頃から 足腰鍛えて準備万端
モンテカルロオペラのプログラム:出演歌手は半端ない。 録画映像を
観賞した時の≪タイス≫もそうだったが プログラム観ると観たい演目
歌手陣が並んで居る
豪華絢爛 [ホテル ド パリ] お伽の国の様な様相のカジノ広場
1980年の面影皆無で 残念ながら郷愁に浸る事は無かった。 只
あの晩 カジノ前で迷っていた時 横付けされた車内からご登場 当時の
アルベルト王子をお見掛けしたのは鮮明に思い出す。
そう云えば オペラ・モンテカルロでは記憶に残る経験をしている。
プラシド・ドミンゴ氏の≪パリアッチ≫ 観劇後 氏の誕生日を舞台で
祝った貴重な経験に遭遇。
【1月21日 モンテカルロのガルニエ劇場に於ける最終公演で55歳の
誕生日を迎えられた プラシド・ドミンゴ氏。 この場に居合わせた
幸運な観客、出演者及び関係者による[ハッピーバースデー]の大合唱
60㎏の特注ケーキとシャンパンで祝福されました
(1996年1月22日 ニース マタン紙)
氏は祝って呉れた人達に舞台の上から挨拶
【初めてこの劇場で演じたのは16年前になります 其の頃は私も
若く未だ大変な頃でした。 当時は私より若い歌手を見つけるのが
難しかったのですが 今では私より年上の歌手を見付けるのが難しく
なってしまいました】と笑いながら語り観客を沸かせた。
あれから26年 未だ舞台に立って居られるのを誰が予想しただろう
この旅はドミンゴ氏では無かったが 次回は氏の公演で訪れる機会の
ある事を祈りつゝ
~~~*~~~*~~~*~~~*~~~*~~~*
追記 5月3日
今 96年1月21日のを観ると 日曜日 15時 @ マチネだった為 終了後
舞台で誕生祝セレモニィが可能な時間的余裕が有った事 改めて認識。
今回旅の準備の際 あの日の記憶が定かでは無かったが 手掛かりを基に
徐々に浮かび上がる情景 若さ故 何の躊躇なく飛び回っていた時代
ひと月後の 96年2月29日 NYメト ≪ 運命の力 ≫ へ飛んで居た(笑)
無く偶々舞込んだに驚嘆( ゚Д゚) Anna Netrebukoアンナ ネトレプコ
舞台解禁?? 復帰情報に指先は既に関係先サイトへアクセスして居た(苦笑)
≪マノン・レスコ≫ モンテカルロオペラ座公演。 華やかで美麗な歌唱を
満喫 残念ながらの演出に僅かながら不満は残るが 一幕@可憐な表情で
デグリュとの出会い 一目惚れに恥じらいを感じさせる爽やかな雰囲気を
醸した。。お茶目な姿は観客の笑みを誘った
二幕 @ 豪奢な館に囲われるマノン 筋肉質の芸術家ジェロンテが彫刻を
創作するが如く マノンを中央に立たせ[柔らかなレースに包まれて~]
歌詞 に合わせ大判のウエットティッシュで包んで行く(苦笑) 幾ら役者
とは云え プロの歌手 臨まれれば全て受容れる?? 愉しそうに歌うマノン
ビジュアル的にはコミック風で 叙情的感動は薄れた。
愛しいマノンを探し求め突然現れたデグリュと 愛の抱擁 館からの脱出を
促すデグリュ 然し宝石に眼の眩んだ マノン両手に抱えた宝を離せず
右往左往する内 ジェロンテが現れ マノンは警察へ。 流石芸人アンナの
演技は逸品
残念な演出の極め付けは最終場面 まるでcovid隔離で会えない恋人同士??
舞台中央をガラス戸で仕切り マノン & デグリュ 其々別々の何故??
[Solo perduta abbandonata 一人きり 置き去りにされ見放された]と
嘆きつゝ暗く冷たい叩きに横たわり一人最期を迎えるマノン
片や明るい学生の部屋で〓熊の様に狼狽えながらマノンに思いを寄せて
嘆くデグリュ。 ガラスで遮断された部屋から動く事も出来ず マノンの
最期も看取れず 中途半端で 本来の感動のクライマックスシーンが
失われ 愛を貫いた[マノン・レスコの神髄]は消えていた
二人で海外追放も厭わず旅立ち 苦難な路を二人歩みながらも最後は
甘美な愛を歌い上げ 憔悴し息絶える愛しいマノンを抱きしめて絶望の
デグリュ と云う感動的恋愛ドラマの最期を誰もが期待して
居たに違いない筈 ?? (苦笑) 然し想定外の結末に納得出来ず不満の
会話が 其処此処に漏れた
デグリュ:テナーYusif Eyvazov ユシフ エィヴァゾフ@ A.ネトレプコの
旦那様 抜群の声量は奏でるが 個人的には音質が好みでは無い。
独唱の時はスルー出来るが二重唱では ネトレプコの美声が損なわれる
感が有った コンサートで聴く分には気にならなかったが
※ネトレプコと共演のドミンゴ氏、マルチェロ・アルヴァレツ、
ヨセフ・カレヤ、シュテファン・コステロ、低音テナー:シャルル・
カストロノヴォ等とのデュエットでは 何時も素晴らしいハーモニーを
奏でたが夫君の甘美なニュアンスの欠ける声質は美麗なデュエットに
心持遠かった
まぁ色々贅沢言って居るが ミラノ ≪マクベス≫ 以来 半年足らず
の内に世界は戦中の渦に突入 軍事産業の発展を望む国の方々の
挑発に因り関係ない芸術関係者が職を失う悲惨な状況を生出して居る。
政治と混同すべきでない芸術家に対し早々に手を下した米国。
カーネギーホール強制降板のヴァレリ・ゲルギエフを 皮切りに各国
追従〇●〇●〇 残念な状況はお気の毒。
※クラシック界だけでなくスポーツ界へも既に挑発は始まっていた
中国五輪フィギュア:ワリエラ女史への虐めとしか思えない米国
メディア 幸い仏メディアは追従しなかった。
愚かな戦争の勃発から 舞台降板を迫られた露人クラシック界の大スター
ご自分からFBで舞台降板を申し出た アンナ・ネトレプコ。 然し
ドミンゴ氏同様に『好きな歌は止められない』だろう 好きな事を
職業にしている方々の職を奪い取る過酷な仕打ち。 特にこの度は
戦争の当事者では無く愚かな主導者の犠牲であるにも拘らず。
幸い欧州は文化芸術と政治とは切り離して取組む劇場が多く ファンに
取って嬉しい限りで馳せ参じた つい10日程前に情報入手 開けて
( ゚Д゚) 待って居て呉れた たった一席 迷わずゲット まさかの
特等席\(^o^)/ 平土間一列目中央寄り通路側 願ったり叶ったり
選んだ時は3列目だったが現地で受取時に一列目と云われが・・
そんな訳で辿り着いた想定外の旅 ≪ マノンレスコー ≫ モンテカルロ
オペラ座。 本来 Maria Agresta マリア・アグレスタの予定が Covid
感染に因る降板代役がAnna Netorebko アンナ・ネトレプコ と云う
豪華版 4公演完売だった一席 宝くじに当たった様な幸運(笑)
他の何席かは全て後方の補助席 サイト開けた途端飛込んだ席に驚嘆
透かさずお手付きしたが 交通機関を調べて『エッ フライトが無い?』
そうモナコには空港不在 ニースからのアクセス等 検索する内に一度は
気落ちしながらも どうにか進行
然し難関はホテル『エッ嘘』徒歩距離近目は全て空き室無し
夜11時の帰路は何か不安 少しでも近めとは言え距離感が掴めず
『まぁモナコだし』風な勝手な安心感も(笑) 然し是も到着時に
仰天 お山の上だった?ふぅぅ ホテルのレセプションで
『随分急な坂路で』と『 だからモンテ(monte=登)と云うの此処は?』
山を切り崩して出来上がっている街だった ※モンテの説は如何か?
80年にカジノの為に来仏された重役の友人アテンドで訪れた時の
経験なんて忘却の彼方 空港が無かった事さえ忘れて居た
『そう云えば』風に徐々に記憶が蘇り 当時はリムジンの運転手
さんが観光案内も兼ね『此処が グレース・ケリーモナコ王妃の
事故が有った場所』と くねくねした山道を辿ったのを思い出した。
でもあの頃の景色の方が自然も多く時折 海の見える素晴らしい景観。
現代切り崩されて出来上がった山道にオートルートが縦横に碁盤の目
何しろF1が繰り広げられる街。 この旅も ホテルが満室だったのは
今週末のF1の為とか ニース空港行バス待ちでお喋りした
ベルギー人から情報入手
最終的にバスは遅れ 機運のタクシーに遭遇 割勘で空港まで運転手
さんとお二人の興味深い愉しい話題 モナコの昔話を拝聴しながら
美しい車窓からの風景を堪能させて頂いた[旅は道連れ]
TCEの思い掛けないMarina Rebeka マリナ・レべカ代役に引続き
この旅もA.ネトレプコ代役と双方共 格上代役 その上 完売の
一列目と云う想定外の幸運に巡り会え感謝感激 Poisson D’Avril
4月の魚 嘘の様な本当の話 こんな幸運に巡り合え5月は反動が
来ない事を祈りつゝ〓〓
~~~~~~~~~MANON LESCAUT~~~~~~~~~
2022年4月27日 オペラ・モンテカルロ ≪ マノン・レスコ≫
指揮:Pinchas Steinberg/衣装:Kristopher Kempf
演出:Guy Montavon/ 演出アシスタント:Enza D'Auria
舞台装置:Hank Irwin Kittel / 照明::Guy Montavon
Etudes musicales:Kira Parfeevets
Un musico:Loriana Castellano
コーラスマスター:Stefano Visconti
Orchestre et Chours de l’Opera de Monte-Carlo
マノン・レスコ:Anna Netrebko /兄レスコ:Claudio Sgura
騎士デグリュ 学生:Yusif Eyvazov
ジェロンテ(本来大蔵大臣Vs芸術家) :Alessandro Spina
エドモンド,学生:Luis Gomes宿の主人:Luca Vianello
舞踏教師:Remy Mathieu/音楽家:Loriana Castellano
カジノ御殿の中に同居しているオペラ座 巴里のオペラ座と同じ
建築家:Charles Garnier シャルル ガルニエ氏の設計。
現在モンテカルロ・オーケストラ首席は 山田和樹氏 同郷の
秦野ご出身の様で 数年前に偶然プロフィルを拝見して( ゚Д゚)
残念ながら今回は Pinchas Steinberg パンシャ スティンベルグ氏
76歳老練な指揮者 コンパクトなオケピットから宝石が飛交う如き
輝き放つ音質 ダイナミックに情緒豊かな素晴らしい演奏を奏でた
若手演奏家:若手コーラス団 オケピット被り付きの平土間一列目
願ったり叶ったりの思い掛けない好演に巡り会え感謝観劇。
公演後の23時 カジノ広場の賑わいは絶えず。 急な山坂で体力的に
心配だった帰路では有るが 為せば成る 老婆の健脚(笑)
※到着日 初めての路を昼と違う景色の中で迷って辿り着けない
心配も過ったが 煌々と夜道を照らす街灯に救われ軽やかに宿へ
戻れた(安堵) 昼荷物を引いて上り詰めた際は二度と来ないかも?
と不機嫌だったが 何度か往復する内『また来ても良いかも?』と
意思が変った(苦笑)
※この街で流しのタクシーを見付けるのはほゞ無理 自力で挑戦
常日頃から 足腰鍛えて準備万端
モンテカルロオペラのプログラム:出演歌手は半端ない。 録画映像を
観賞した時の≪タイス≫もそうだったが プログラム観ると観たい演目
歌手陣が並んで居る
豪華絢爛 [ホテル ド パリ] お伽の国の様な様相のカジノ広場
1980年の面影皆無で 残念ながら郷愁に浸る事は無かった。 只
あの晩 カジノ前で迷っていた時 横付けされた車内からご登場 当時の
アルベルト王子をお見掛けしたのは鮮明に思い出す。
そう云えば オペラ・モンテカルロでは記憶に残る経験をしている。
プラシド・ドミンゴ氏の≪パリアッチ≫ 観劇後 氏の誕生日を舞台で
祝った貴重な経験に遭遇。
【1月21日 モンテカルロのガルニエ劇場に於ける最終公演で55歳の
誕生日を迎えられた プラシド・ドミンゴ氏。 この場に居合わせた
幸運な観客、出演者及び関係者による[ハッピーバースデー]の大合唱
60㎏の特注ケーキとシャンパンで祝福されました
(1996年1月22日 ニース マタン紙)
氏は祝って呉れた人達に舞台の上から挨拶
【初めてこの劇場で演じたのは16年前になります 其の頃は私も
若く未だ大変な頃でした。 当時は私より若い歌手を見つけるのが
難しかったのですが 今では私より年上の歌手を見付けるのが難しく
なってしまいました】と笑いながら語り観客を沸かせた。
あれから26年 未だ舞台に立って居られるのを誰が予想しただろう
この旅はドミンゴ氏では無かったが 次回は氏の公演で訪れる機会の
ある事を祈りつゝ
~~~*~~~*~~~*~~~*~~~*~~~*
追記 5月3日
今 96年1月21日のを観ると 日曜日 15時 @ マチネだった為 終了後
舞台で誕生祝セレモニィが可能な時間的余裕が有った事 改めて認識。
今回旅の準備の際 あの日の記憶が定かでは無かったが 手掛かりを基に
徐々に浮かび上がる情景 若さ故 何の躊躇なく飛び回っていた時代
ひと月後の 96年2月29日 NYメト ≪ 運命の力 ≫ へ飛んで居た(笑)